佐世保湾の横瀬浦がポルトガル船の貿易港となったのは、その頃ポルトガルとの貿易で栄えた松浦藩平戸でポルトガル人と平戸町民との間で争いが起こり、ポルトガル人十数人が殺されたため、ポルトガル人が平戸での布教や貿易に見切りをつけ、良き港を求めて南下しました。
 北九十九島、南九十九島を左に見ながら船が向後崎近くまで来ると、突然入江が見えたので入ってみると、広々として海面は鏡の如く静かで、船を岬に沿って右に進めると横瀬浦に着いたのです。その手頃な広さ、そして湾口に近いことなど貿易港に最適とし、早速大村藩と交渉しました。
 その結果、ポルトガル人によって無名の寒村が貿易港として繁栄、免税の特権を持つ日本での最初の自由港となりました。横瀬浦の開港は日本貿易史上特筆されることです。
 人家3,4軒の寒村が一年余りで平戸、博多、豊後、山口、遠くは京都からまで貿易のため移住するものが多く、キリスト教信者と貿易業者の天国となりました。

 横瀬浦の繁栄が二年余りで荒廃したのは、大村純忠公がキリスト教に心酔しすぎたため、反キリスト教派の家臣と大村藩直系で武雄藩主の貴明公が手を握り反乱を起こすが、敗れことごとく処罰された。しかし、この反乱に乗じ異教徒の豊後商人たちがポルトガル人を殺し、その荷物を略奪せんと街に火を放ち、街は猛火に包まれ、ポルトガル人と信者は素早く船に逃れるも横瀬浦は見る影もなき廃墟と化し、ついに再建ならず、元の寒村として今日までひっそり過ごしてきたのです。  横瀬浦を後にしたポルトガル船は再び南下して福田を貿易港とするも、さらに良き港を求め長崎をして貿易港とし今日まで続いたのです。

 

   

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